営業日には 
表に看板が出ております。

住環境について

2019年6月以降、少なくなった営業の曜日の原因は、 住環境の変化であります。

2025年時点での話しをします。

住んでいる3ヵ所①②③について。

①②③

①②→千葉県(居候と賃貸)

③神奈川県(整骨院)
千葉県の太平洋側(外房)の地形図です。
赤🟥丸→① 
海側にて、水色→低い土地であるのがわかります。
紫🟪丸→② 
半島の内陸部になりますが、(水色が内陸部まで入り込む)南側は房総丘陵がありますが、そこには至らず山間という程の標高はありません。それでも②から海側の一宮、岬、大原、御宿、勝浦、興津、小湊、、といった場所へは低い嶺を軽くのぼり、ストンと下りますので 海に入って行くんだと感じるものです。
①🟥 (2022年2月から)いすみ市岬町和泉地区でも過ごすも、夏や正月とかの長い休み期間以外は週末を過ごす程度で早、三年半。2025年6月に車を替える(横浜では2台の車を1台にするため)タイミングで、夏前には、2019年から長く居候している②🟪の離れ家屋から出て、①🟥に常時住むようにしなければと考えて、①と③(横浜)へ荷物の移動と、③の部屋の修繕(2025年9月に予定)し、③へ再び転居出来るように準備を始めた(2025年5月より)ところです。

海に近い①🟥でも、海側には太東﨑が寝そべっているため、津波の直撃は無い場所です。しかし その為、①の賃貸家屋から海へ出るには少し遠回りする必要があります。
①から直線でも1キロ。
太東港と海水浴場に到着します。砂浜よりも漁港の風景を眺めてしまいます。
太東は海は近いですが、③→横浜の整骨院から海へも、1キロの距離ですと、 日本丸メモリアルパークになります。港の海でありますが、、
そう考えると③も海『港』には近い場所にあります。
①に記載のエリアで、私が風情を感じる道の先の写真です。
向かう先の右手に 雀岩(夫婦岩)が見えてきます。左にカーブし登ると短いトンネルがあります。この道でも、トンネル側からと、どちらの方向から来ても、それなりの景色が開けて海だ!と口に出てしまうのです。
ただ、①の賃貸🏠️からは近い距離にもかかわらず、残念な事に、歩くことはしないで、いつも車を とてもゆっくりと走らせて景色を堪能しています。
2023年10月20日、夏のような日差しの日でした。写真を撮ると 夏のような一枚に。
①🟪の🏠️のまわりもこのような風景です。こちらは🏠️から少し海側へ向かった辺りの風景ではありますが、、。先に写る森は太東漁港の際の森で、稜線を右につなげていくと太東﨑のある岬に至ります。夜は、この辺り岬の内側でありますが、太東崎灯台の灯りが見えます。
①(左)と②(右)の家の風景。
👈️左写真の右に写る建物が住んでいる賃貸家屋。秋の季節なら広がる田んぼとススキと背高泡立草の原に、遠くに見える森と梨ハウスと、お家がチラホラ。
👉️居候させてもらっている家の庭からは、春には田んぼに苗が植えられます。集落の手前に位置しまして、先に見える木々が、隣の集落とを隔てる道があります。住まわせてもらった間の五年間で木を伐採したた為、スッキリしてしまいました。

続きましては

② 🟪いすみ市正立寺地区の家辺り。🏠️からすぐに川がありまして 里山が広がる風景が広がっています。
川は、2023年9月9日 大雨後、こうなりました。
小学校通学バス停🚏🚌から、②の集落に入る道を振り返る。
正面がJunko.mの実家。
②の集落にある神社の上から見た景色。
③…横浜(神奈川県) 整骨院。
いつか横浜駅から帰る際に ものすごい雨が車窓に吹き付けてきました。横浜から千葉駅まで総武快速 横須賀線で1時間15分。千葉駅からは外房線に乗り換えます。道のりが長いので 座って行きたいため、帰りの時間は いろいろ工夫しています。

2025年現在の住んでいる環境を話します。
 次の① ② ③ の三ヶ所について。

① 『千葉県』
いすみ市 岬町和泉(みさきちょういずみ)

■ 九十九里浜の最南端であり、かつ 南房総国定公園の始まりでもある 太東崎があるエリアです。
週末(金)~の時もあれば、主に (土)(日)にかけて) 2022年2月から、
平屋の賃貸物件で過ごしています。
太東エリアは、いすみ市の中でも一宮町に近く、一宮の海岸は、2021年開催の東京五輪のサーフィン会場でした。サーフィンや海に縁のない私ですが、せっかくならばと海に近いところにも過ごしてみたくなったのです。
太東崎と太東漁港(太東ビーチパーク)の間に位置する 津々ケ浦(雀島 またの名:夫婦岩)を訪れます。同じ和泉エリアでも そこへ至る道は、緑豊かな小道が通じ、風情があります。→その風景の写真は、上記に掲載しました。


このような海近くの環境で過ごすのは30年ぶり。

社会人一年目で配属になった際に過ごした茨城県日立市会瀬町(おうせちょう) 以来。その時に住んでいた、寮や借り上げアパートからは、直線で500mちょっとの距離で海でした。夜は海の風が吹いてきたものです。


② 『千葉県』
いすみ市 正立寺(しょうりゅうじ)

■ 子供の保育園に入る頃の話になりますが、横浜において、私ら共に自営で住居を兼用してると入園が厳しいらしく 二年続けて入れず、近くの幼稚園も子供の性質から合わず、ならば と、保育園期間の三年間を約束に、2019年から、妻の実家の離れの 平屋の建屋を借りて過ごしてきております。
現在も、正立寺で過ごしてもいるため、保育園期間三年間でという約束と違っております。なんとかせねば です。
正立寺地区は、大多喜町との町境に位置し、集落に車が入れる道は一本。山(森)に囲まれ 棚田のある里山の風景であります。
かつて、日蓮宗不受不施派の隠れ里であったというのもわかります。だから、住んでいる人しか入ってきません。
暗い夜は星が綺麗です。

■ 岬町和泉と正立寺とは、方面は違えど、どちらも いすみ市の町境(一宮町と大多喜町)で、海辺と田園の違いがあります。

和泉←→正立寺 は、車で約20分です。


③ 院の所在地であります→『神奈川県』
横浜市西区 伊勢町(いせちょう)

■ 伊勢町あたりは、横浜のダウンタウンです。私にとっては、1989年(平成元年(私は18歳)にあたり、横浜博覧会開催していた年)~1993年と、(松澤順子(私もですが)は)1999年~2006年さらに、2007年~2019年迄。
& 私のみ院の営業時滞在で、2019年から現在に至っております。
● なんだかんだと院の建物は築35年で、そのうち住んでいるのは28年も過ごしてきているエリアになります。

2024年時点で。

いすみ から、横浜への通勤ルートについて。

紫→JR路線
(外房線 & 総武快速 横須賀線)。

緑→高速バス(茂原から羽田経由 横浜駅行き)。

赤→🏠️から茂原駅へ、車のルート。

青→🏠️から亀田総合病院(鴨川)への車のルート。(良く、亀田病院へ行くため、どの辺りかを載せたくて…。)
いすみ市にある高秀牧場を見上げる道(滅多に車が通りません)からの夏の終わりの風景が好きです。ちょっとした雄大さを感じるんです。
2024年11月9日 子供の習い事で茂原→長柄→さらには用事で市原と巡った後、17時前にたどり着いた一宮(いすみとの町境辺り)の海。逢魔が時。海からの魔物に出会いそうな怖さを感じました。

夜の海は怖い👻。だから、近づかないようにはしています。

↓社会人一年目

ふと、思い出してしまいまして、書いてみます。
茨城県日立市(令和時代の空撮)

赤🟥丸印→この辺りに住んでいました。
思い出として。茨城県日立市。
日立製作所のグループ企業である「 日立建設設計 」の会社員としての、社会人一年目、研修先(第一統括本部設計センター)と配属先(建設技術部)は なんと、茨城県の日立市でした。意外だった。
1993年~1994年と短期間でした。
その後の生き方みたいなものは、この地方都市にて働き始めたというのが大きいです。有名な日立の大煙突(日立鉱山の大煙突)は、研修配属前にも1993年4月のオリエンテーションでも来た日立(他には神奈川の戸塚などへ)ですが、その一ヶ月半前にあたる1993年2月19日に突如として倒壊したと聞きました。

赤🟥の囲み → 日立工場🏭️
紫🟪の囲み → JR常磐線 日立駅🚃
緑🟩丸 → 研修先📝 と、配属先👔
青🟦丸 → 寮🏢(研修時)と、借上げマンション🏢(配属時)
大煙突はこのあたり。
紫や赤の囲みは、上記の日立駅と日立工場ですから、煙突(高さ155.75m)の場所は離れています。1915年より使用され、1993年に1/3を残し倒壊するも改修され54mの煙突になるも現在 使用されています。このあたりの風景は凄い。今は日立鉱山とはいわず、ENEOSの親会社であるJX金属の鉱山となっているみたいです。
どんどん山に入って行くと日鉱(日立鉱山)記念館があります。㈱松田平田設計による1985年竣工の、かっこ良い建物。
日鉱記念館
1986年開館→私が日立に来たのは、1993年でしたから、開館してから 七年後と、そんなには時間が過ぎていたわけではなかったので綺麗だったわけですね。