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- ざっくりな年表 等々。

ざっくりな年表
■【9年間】は、
建築設計の修行を行いました。
学んで勤務して。
18歳から28歳にかけて。
■28歳で結婚しました。
半年後には治療業へ進みました。
■【8年間】は、
① 二ヵ所で学びながら見習いに入り、
研修すること四ヶ所。
② 2003年に国家資格を取り、
正式に勤務をはじめます。
勤務は、七ヶ所。
28歳から36歳にかけて。
■36歳で整骨院を開業し、
2025年現在では19年目に入っております。
■ 今でも 数ヶ月に一度は必ず見る夢があります。(2025年現在は、この夢を見なくなりました)
気づいて目が覚めても脳裏に残る夢。場所は、自営の院または、1999年に見習いで入った横浜の本牧の接骨院。ただし、決まって私 一人で行っています。患者さんが、集中して来院というシチュエーション。そうなる少し前に捻挫でかかる患者さんを対応している時に限ってというのが、いつものお約束。捻挫処置、、副子を使い固定するのですが、きちんと処置しているなか、その間にも他のベッドで電器機器が時間が終わったアラームがそこらで鳴り、患者さんは順番でマッサージ待ちとなり、さらに待ち合いから人が溢れて、、あぁ、、。と。
見習い先の院長が言っていました。
患者さんが来るにはどうしたら良いかを考えるより、来すぎてしまったらどうするかだけ考えろと。院長も一人で院を切り盛りされていて、何も手を出さない本当の見習い時期に見ていた時は、会計レジも患者さんにセルフで行って貰っていた姿を見たことがあった。その言葉を思い出します。
そして、夢で足掻く無様さ(笑)。まだ、全然、ベテランの域には届いていません。せめて、リラックスして治療にのぞめるように平常心であること心がけてます。
同様のシチュエーションで 仕事の夢は、25~28歳に勤務していた、千葉の設計事務所時代のを。職種はちがえども。です。製図、、図面がどうしても書けない やり直しにやり直しを。個性豊かな方々も夢に出てくる。私にとって、千葉の設計事務所は印象に残る仕事場所だったんだな。と。
私は引っ越しが多くありました。
東京に小学校前までいまして、
小学一年時に千葉(都賀)へ一旦越して 隣町の小学校に通う。
小学一年途中から現実家の所在地に。
小学校二年生には小学校を転校した。
月日は流れ、18歳途中からは横浜で過ごすも、新社会人前に実家に戻る。
22歳、研修先は茨城県の日立であり、寮生活。配属も日立にて、会社が借り上げたマンションに移る。それも束の間、転職に伴い再び実家。
その後、千葉(鎌取)で一人暮らしをして、結婚で千葉駅近くに越し、更に横浜に越す。それが29歳の頃の事。
整骨院開業前には再び千葉(鎌取)に越し、部分開業を迎え、再々度 横浜へ。36歳。
それからは長いこと横浜で過ごすも、48歳で、千葉(いすみ市)の生活も始め、今に至っている。
再び、横浜に戻る予定であり、その時期は2025年。54歳になってからになりそう。
それまでに、こどもと、Junko.mが戻るまでに、横浜の一階(整骨院)のリフォームを行いたい考え。来てからではリフォームが難しいため。
こどもは、小学四年途中から横浜の小学校に転校とし、生活全てを横浜にということはせずに、今の岬町和泉を継続か、茂原(習い事の利便と、もしかしたら横浜から戻らざるを得なくなった際に、茂原は、ちょっとした多様性があるため)あたりで賃貸を借りて、完全には横浜に生活を移さず、2ヶ所拠点で様子を見てみたいとJunko.mは言う。
こどもが現在、大層、手間が掛かり、不安な材料もいろいろと有るため、多様な選択を作って置くべきだと私も思う。
しかし ついに 2025年後半から2026年にかけて、横浜に戻る計画を進め始めています。
